ダナンはロックダウンのさなかである。

陽気なこの街は一変し、静寂の中で、とおくお寺の梵鐘の音が聞こえる。

人々は乱れない。買いだめも起こらない。

隅々まで、政府の指示が浸透する。

今日も、大学でうちあわせているとき、「2メートルはなれて」と注意された。

子供から大人まで、マスクをしない人は皆無。

 

朝夕、手洗いやマスクを奨励する宣伝カーが通る。

いつも、黄昏時に若者たちが、集うリゾートビーチには、延々と何キロにもわたって、200メートル程度の間隔で警官が立って、寄せ付けない。

 

きになった記事

「安倍政権が国民のために今すぐやるべきこと」

*以下 「記事の抜粋」(著者の意図と異なるかもしれないが)

尾中 香尚里 ジャーナリスト福岡県生まれ。

 

 もういっそのこと、緊急事態宣言を出した方が、まだ「まし」。

「私権制限」をバラバラに打ち出している。

多くの人たちを社会的、経済的に追い詰めつつある。

 

 こんなことが常態化すれば、法治国家としての基盤が崩れてしまう。

ならばいっそのこと、政府が緊急事態宣言を出して私権制限に法的根拠を持たせ、国の責任を明確にした上で、同時に私権制限に対する補償の方針を国民に向けてしっかりと打ち出す方が、民主主義国家としての健全性を保てるのではないか。

 

阪神・淡路大震災(1995年)の時は社会党の村山政権。

東日本大震災(2011年)の時は民主党の菅直人政権だった。

 

 印象深いのは東日本大震災だ。当時の菅政権は、

 東日本大震災の発生から5時間もたたない2011年3月11日午後7時3分、政府は原子力災害対策特別措置に基づき原子力緊急事態宣言を発令した。

この原子力緊急事態宣言は今なお解除されておらず、実は日本は現在も「緊急事態」のただ中にいる。

 

 政府はこの宣言に基づき、原発から半径20キロ圏内の住民に避難指示を出した。

一時すなわち「外出を控えるよう指示」を出した。

それは、現在新型コロナウイルス問題で出されている「外出自粛要請」よりも、ずっと強い。

戦後日本が経験したことのない強権発動だったことは疑いがない。

 

 そもそも、今回の緊急事態宣言は、民主党政権下で成立した新型インフルエンザ対策等特別措置法にすでに盛り込まれていたものであり、別に安倍政権独自の施策でも何でもないのだ。

 

 あの日、首相官邸では、秘書官らが六法全書と首っ引きになっていた。

政府が初めて発令する原子力緊急事態宣言。

宣言を出したら首相にどれだけの権限が与えられるのかを、法律の条文に照らして慎重に確認していたのだ。

 当時の閣僚の1人は「現行法ギリギリであらゆる措置を取る、という意思だ」と解説した。

 

緊急の事故対応が落ち着きを見せ始めると、政府は被害者に対する損害賠償スキームを策定した。

賠償の責任主体は東電であることを明確にしつつも、政府と電力各社が出資する原子力損害賠償支援機構(現在の原子力損害賠償・廃炉等支援機構)を設立し、政府として賠償資金を支援する仕組みだった。

 東電が破綻して賠償ができなくなり、住民が苦境に陥ることだけは避けなければいけないと考え、批判を一身に浴びたのだ。

 

 ひるがえって安倍政権である。

 新型コロナウイルス問題で、政府の専門家会議が「ここ1~2週間が、急速な拡大に進むか収束できるかの瀬戸際」との見解を示したのは2月24日。

安倍晋三首相はこの直後、大規模イベントの自粛や学校の全国一斉休校を、次々に要請した。

 

この時点では、新型インフルエンザ等対策特措法の対象に新型コロナウイルスを加える法改正は、まだ行われていない。

自粛要請は法的根拠を持たずに首相の政治判断で出され、その後は期限も見通せないまま、ずるずると延長されている。

 

 要請が法的根拠に基づいていないということは、政治が責任を負うことが担保されていないということだ。

要請に基づいてイベントを中止したり、店を休みにしたりするのは「自己責任」。

 そんな無責任な形で、これ以上の自粛要請を続けさせてもいいのだろうか。

 

 

 

 改正新型インフルエンザ対策特措法が成立し、新型コロナウイルスに対しても特措法の規定が使えるようになったのは3月13日。

翌14日、安倍首相は記者会見の冒頭で「緊急事態に至ったと判断した場合、この法律に基づいて、蔓延の防止と社会機能の維持のためさまざまな措置を取ることが可能となる」と宣言した。

 

 そこまで「緊急事態宣言」に焦点を当てておきながら、2週間以上を経てなお宣言を出していないのは、賠償という、首相はそんな重い責任を負うことから、ただ逃げているだけなのではないか。

 そして、自粛の結果国民がどんな不利益を被っても、すべては「自己責任」で片付けられ、政治家は責任を負う必要がない。

その「痛み」を一方的に引き受けさせられ、会社が倒産しても解雇されても「自己責任」となるのでは「協力したくてもできない」人も少なくないはずだ。

 

本来、国が真っ先に予算措置を行うべきなのはここであり、少なくとも「和牛券」のような消費喚起策ではないはずだ。

「政治責任を取る覚悟」である。現下の緊急の感染拡大防止に一定のめどがついたら、国民に多くの痛みを強いた政治責任を引き受けて、首相の職を辞する考えを示すことだ。

 「貧乏くじをひいた」と思うかもしれない。

しかし、やむを得ないことであっても、政治権力がその強権で国民に痛みを強いる事態が生じた時、進んで貧乏くじを引き責任を引き受けるのも、国民に選ばれた政治家の務めだと考える。

 

あの雑踏がなつかしい 新宿 

 

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