コロナウイルス対策と経済への影響と戦争の記憶

記事「東京都内で21日、新型コロナウイルスの感染者が新たに230人程度確認されたことがわかった。小池百合子知事が同日、報道陣に明らかにした。3日ぶりに200人台になる見通しとなった。都内の感染者数が100人を超えるのはこれで13日連続となる。」

 ところで「4段階の今、何段階程度だ」とか、こういう説明の仕方になるね。日本の政府って。じゃ、その4段階って、なんなの?という国民の話題もあまりない。

 福島原発事故のとき、スリーマイル島の経験から、すぐに、米軍は50キロメートル範囲避難を進言した。日本の政府はその基準で避難勧告しようとしたが、まてよ、と考え直して、30キロに修正して避難基準を布告した。

理由は50キロメートルがただしくても、それは大規模になりすぎるから、30キロにしたのだ。「恐ろしくってしょうがなかった」とは、経緯を知った警察官と医療従事者だ。

除染がすすんだから、もう、大丈夫だから、って国道6号線閉鎖を解除したとき、

おどろいた。計測器を持っていたので図るとピーピー強く反応するエリアがデコボコ状態で出現する。怖いから、そのエリアでは息をつめてアクセルを踏む。(笑)

6号線バイパスの入り口には「バイクは通行禁止。車は窓をあけないように。」なに、それ!ダメじゃん、まだ・・。

官僚は、自ら「基準」を作り出し、基準を「修正」する(都合に合わせて正しく?直す)のだ。

有識者の意見で」と受身形にして「経済的観点で」「国民の期待にこたえる」のだ。

太平洋戦争研究者として言わせてもらえば、似たようなプロセスで開戦にはまっていったのだと思う。開戦の年の夏、いまごろの季節に、日本は「総力戦研究所」を設け、最後の徹底した研究を行った。国の内外から集めた、軍・官・民出身の30歳代のエリート若者集団で模擬内閣を設け、すべての実際のデーターを提供し、自由に討議させた。閣議の結果は「日米戦、必敗」と出た。しかも、どのような推移で敗戦に向かうか、年度ごとの各分野の消耗率や、国民の可能摂取カロリー数まで研究し、「昭和19年には飢餓状態を迎えるだろう」の予測はぴったり当たっていた。

オブザーバーとして、東条も無言で出席していた。

数か月後に、一転、開戦に向かう。なぜ?

 各基礎データーに修正を加えたのだ。そして「できない」から「できる」に「負ける」から「勝てる」に転換してしまった。例えば、満州の高質な石炭から、人造石油を製造する見込み生産量などを。この製造責任者は実体との明らかな乖離を苦に自殺した。まだ、そこまでの技術は達してなかったのに。

 戦後、総務大臣は(データー修正について)、「しかたなかった。そういう機運だったから。結論ありきにあわせたのだ」風の言い訳をしている。受身表現だ。

 日本の官僚は優秀だ。だが官僚政治はあぶない。軍官僚が主導するとさらにあぶない。

軍国主義というが、そんな「主義」はない。資本主義や共産主義と並ぶものではない。軍という官僚政治に譲歩して、日本が政治機能不全に堕ちた一時代の俗称だろうとおもう。

 官僚政治は危機対応ができない。責任をとらない。国民のせいにする。敗戦後、「一億総ざんげ」と大手新聞が言った。冗談じゃない。コロナウイルス対応でも見える。国民も「今だけ、カネだけ、自分だけ」に染まらないようにしないと、孫子に残せる国にならない。