多忙と断捨離

忙しいというのは「心を失う」という意味だとは教えられたが、この歳になってやっと実感した。

 

いそがしい、というのは、たくさんやることがあって、「おおいそがし」だと思い込んでいた。

「多忙」でなくて「多業」みたいな。

 

去年から、大事なことを忘れたり、うっかりしたりが頻繁に起こった。

授業時間や段取りをすっかりわすれたり。

年のせいで忘れっぽくなった。と、同年代の口癖だが、ハタと気づいた。

 

オーバーワークなのだ。

若い時と同じように、いろいろなことを手掛け、せっせとやっていれば、若くいられるなんて思い続けていた。

 

数年前から、「村瀬は案外安全運転なんだね」と言われることが何度かあった。

気が付けば、時速80キロ未満でないと怖い。

と、言うことは、情報速度がその程度でいっぱいいっぱいだということ。

 

いま、ベトナムでバイクに乗っているが怖くない。

怖くない程度のスピードで走っているからだ。

時速25キロか30キロがちょうど気持ちのいいスピードだ。

 

ようするに、「心を失うほどのオーバーワークをしてはいけない」ということなんだ。

「多業」で「ひまなし」はおおいに好きな状態であるが、「多忙」はいけない。

人の心を失うことになっては、せっかくのチャレンジが逆効果だ。

いままで、優秀な部下の人たちや、友達に甘えていたんだと

異国で一人暮らしのきつさで思い知った。

 

先日も、夜、外からカギをかけてでた。ヘルメットとめがねをわすれたことに気づいて、部屋にもどろうとしたら、ナンバー形式の錠の番号が見えない。

暗闇の中で立ちすくんでいた時「こいいうのが喜劇なんだ」と思った。

 

ヘルメットもあちこちにおきっぱなし。眼鏡も各階にばらばらある。

それでも捜すことになる。

複数あるから、どっかでみつかるだろうと過ごしてきたが。

 

ものの多さも、今の私の記憶管理領域をはみ出している。

狭い部屋にあふれる、思い入れもない、いろいろなもの。

 

な~んだ。断捨離って、どうってことない、身の丈以内で暮らそうっていうことだ。

が、たいてい、その身の丈がよくわからない。どのていどか、これが難しい。

 

意義があって楽しい仕事はたくさんあることを知った。

でも、なんでもやる気で向かっていくばかりでは、壊れる。

せっかくのチャレンジが滑る。

 

顧問の会社が4つ。教えている大学が2つ。クラスが合計11クラス。

そして、NPO。際限なく増えそう。

貧乏性だから断捨離できにくい。

 

3年前、カギをなくして、財布を落とし、携帯が電池切れで、ダナン空港まで歩いて、朝、追い出されるまでロビーで寝たときは、ただ愉快だったけど

 

仕事でそうはいかない。多忙と断捨離を考えろと、私に言ってるのだ。

 

若い人には「断捨離なんてするな」と言いたい。

なんでも興味のあるものはとっておけ。そのうち意外なものに化けるかもしれないって。