ハイバン峠を徒歩で越えた

ダナンにきて4年目。

いつも遠くに眺めていたハイバン峠。

ベトナムを南北に分ける要所。

頂上には古来見張り台の砦があり、ここから、南北、また、東シナ海を眺望できる。

太平洋戦争中、日本軍もここに拠点をおいた。

朝な夕なその貫禄ある姿はいつも目を引き付けられた。

市内から、大学の校舎から、黄昏の露天風呂から・・・。

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ホテル東屋の露天風呂から見えるハイバン峠

ハイバン峠を境に、北と南では歴史文化も気象も異なる。

いつか踏破してみたい。思い続けた。

ネットで調べても、人に聞いても踏破の情報は得られなかった。

ユナイテッドバーでウイスキーを飲んでいる時に「あした行こう」と思い立った。

無謀と時々言われるが、私の安全登山の方法はシンプルで、時間を決めて、

時間になったら、さっさと同じ道を戻るのだ。

この方法で、缶入り牛乳2本だけ持って、北岳に上ってしまった実績がある。

そのころは30歳、今回73歳はさすがに自信がなかった。でも、今しかないと。

 

午前2時に寝て5時に出発。

グラブバイクが行き違いでつかまらず、いつものように事務所に行ってからにしよう。

事務所に寄り道したおかげで、荷物の見直しや、靴の履き替えの余裕ができた。

山のふもとに行きたいが、住所を言えないので、グラブバイクは、近くの工業団地の、いつも教えに行ってるDAIWA社の住所を入力した。

リゾートビーチの早朝の海岸線をひた走る。

DAIWA社のあたりで、国道から曲がろうとするグラブのお兄ちゃんに、「デイー・タン」(まっすぐ行け)「トイ・ムオン・デイ・ハイバン」(ハイバン山に行きたい)

というと怪訝な顔。「トイ・ビエット」(わしゃしっているから)と言っても・・。

お兄ちゃんは道が不案内らしく、道々、ほかのバイクに聞きながら走った。

ふもとで降りるとまた怪訝な顔。

一緒に自撮りして別れた。ここまで約70000ドン。

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さて、上り始めて200メートルもいかないうちに、外反母趾の右足が痛んだ。

「慎重に焦らず行こう」と決めた。

標高は大したことないが、海岸からの登坂だし、炎天下だから油断は禁物。

テト中の温暖なときにチャレンジしようかと思っていたが、そのころは都市間移動は

コロナのせいでロックダウンしていたからできなかった。

天気予報は、降雨50%、時々雷雨。

傘とカッパと懐中電灯とペットボトルとチーズ3切れと、土砂降り対策のサンダルを

バッグにいれたが、パスポートを忘れた。ホテルに泊まれないから日帰りしなくちゃ。

東シナ海の眺めは素晴らしい。登り始めて、すぐに石油基地があった。

草むらに古いトーチカがあって、ベトナム戦争時は重要拠点だったにちがいない。

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南側のダナンは当時米軍の最大の基地、北側フエは激戦地。

太平洋戦争時は、インドシナフランス軍は親独ビシー政府側だったので、日本軍と同盟軍で、三色旗と日章旗が4年間仲良く連合軍に対峙した不思議な歴史のベトナム

そんなことを考えながら、黙々と歩いた。

碓氷峠旧同の七曲りのような道が延々と続く。汗びっしょりで、全身塩からみたいになってきた。ズボンの皮ベルトまで濡れてきた。

タイヤが18本の大型トラックが時速10キロくらいでゼイゼイしながらすり抜ける。

途中でエンコしているのもいる。

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新道のトンネルを使えば短時間で抜けられるものを。重量車は規制があるのかな。

このトンネルは、日本の援助と技術で完成したもので、入り口に日本の国旗の大きなプレートが、日本人観光客の自尊心をくすぐっている。

ともかく熱い。脇の茂みの小道で一息ついたり、水はこまめに飲んだ。

茶店があったので一度、立ち寄りコーラを飲んだ。

たくましそうなばあさんが興味ありげに話しかけてきた。歩く奴なんていないから。

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さいわいに快晴。ライトブルーの空、透明な青い海、うっそうとした緑の山なみ。

景色はいいけど、前方はるかに曲がりくねった道をトラックの小さな影が登っていくのを見ると気が遠くなりそうに長い道中に思える。

二度と登りたくないのは、富士山と、岩手山と、ここだな、と思いつつ歩く。

怖いのは、路肩に白線が引いてあるけど、人ひとりやっと歩けるかどうかのスペース。

エンジンの音がすると、振り向いて立ち止まり警戒した。

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茶店のばあさんの言う距離感だと、まだまだと覚悟していたら、不意に頂上。

茶店でカフェスウア(コンデンスミルク入りのコーヒー)のんで一休み。

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頂上のトーチカの銃眼から北を眺めると、はるか麓のランコウ村の美しい海が見えた。

達成感もあり、やる気がわいた。

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早く行かなくっちゃ。列車が運休になっているから、帰りの対策も必要。20分後出発。

下山中の気のゆるみが一番あぶない。

登りより距離は短いはずなのに、しんどい。距離表示板がしょっちゅう気にする。

こりゃ、参った、と思う時点でガードレールにもたれて休憩。

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めまいも少し、それより股関節がピリッと痛み、力が抜ける現象にビビった。

バイクで通りかかった人が、「乗るか?」と声をかけてくれた。3回。

登りではそんなことはなかった。北側の住人はやさしいのかな。

「トイ・ティック・デイボ・・カムオン」(歩くのがすきです。ありがと)と断った。

列車の車窓から見た美しいふもとの村にたどりついた。

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うれしくて無人の駅付近で休憩しているバイクの白人カップルに話しかけた。

歩いてきたと言ったら、青年が「SUGOI」と日本語で言った。

列車がないのにどうやってダナンに帰るのか?と聞くから

「ノー、アイデア」と答えたら、女の子が「SUGOI」と言った。

どこの国だと聞いたら「スロベニア」だというので、復唱したら違うという。

なんども確認しあったが、通じなくて笑った。別れて気づいたが「スロバキア」だ。

さて、どこでどうしたら、ダナンに帰れるか。バス停はあるか。

ともかく足が痛い。つりそうだし、あと100メートル、あと100メートルと、歩いた。

もう限界と、しょうもない露天の喫茶店に入った。

すると、白人(アメリカ人と思う)とベトナム人女性のバイク旅のカップルが現れて

「あんたのバイクはどこだ」と聞くから、歩いてきた、といった。

彼は、大変驚いて、なんでそんなことをするんだ、と聞くから

昨夜飲んでいる時に「あるいて峠を越えて見せる」と言っちゃったからだ、と言ったら

彼はとても喜んで「お~グッド」と納得した。

そして「ハブユーマネー?」と親切心でいうから、笑った。

そして「ともかくダナンに帰りたいのにバスがわからない」と言ったら、彼はベトナム人彼女になんとかしてやろうと言ったらしく、彼女が喫茶店の女主人に相談してくれた。

で、喫茶店の女主人がバイクに乗せて、バス停まで連れて行ってくれて、切符まで買ってくれた。10,000ドンだった。

トンネルを抜けてダナン側まで行く、渡し船的便だった。

あっという間にダナン側に着いたが、降りたのは人里なはれたふもとのバス停で、

それから市内行きのバスに乗り換えかと思ったら、乗客はみんな自前のバイクで解散。

バイクは別便のトラックでまとめて届くかっこうなのだ。

グラブでバイクをよんでも、ここまでこない。

こまって、スタッフにタクシーを呼んでもらって、30分くらい待って、市内に帰った。

運ちゃんが親しげに、道々、あたりの工場誘致の開発状況を説明してくれるのだが

もちろんベトナム語が10%もわからない。

いつものように「なるほどね」「そうなんだ」とか相槌打ちながら、

エアコンガンガンの助手席で「あ~、ついにやったぞ」と満足感に浸った。

帰着したとき、まだ、陽は高く、うまいもの食って(なんだか忘れた)

シャワーを浴びて、仮眠して、昨夜のバーに行って、「登ってきた」と言ったら

「アッそう」くらいの返事でピンときてないらしい。

なんだか不思議な1日のような気がするが、充実感に浸った。

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一人の山歩きはいいものだ。いろいろなことを考える時間がいい。

登山可能航続距離8時間くらいだということがわかったこともよかった。

3度めの八ヶ岳の赤岳に登ろう。中二の息子と泊まったりした山頂小屋に。

そのときの無理のないコース選びが、これで決まった。

雨にやられたらこうはいかなかった。ありがと、ハイバン峠。じゃね。