ダナンにきてからなにをやってきて、なにをやろうとしているんだろう 棚卸
1、なにをやってきたか
2017年
2017.3に始めてダナンに来た。
池袋の焼き鳥屋でさそってくれた、ダナン大学のS先生に会いに来た。
紹介された小さな日本語センターIに草鞋をぬぐことにした。
2017.5日本語教師課程を卒業できたので2017.6ダナンに渡った。
紹介者S先生は翌日に帰国してしまい話がちがう月収15,000円で孤立無援になった。
そのとき、同じタイミングで就任した日本人の若者Kさんと出会った。
彼はほどなくベトナム人と結婚して、親戚扱いで結婚式に出させてもらった。
彼のおかげで、ITを使えるようになったことを抜きにその後の展開はなかった。
彼の妻は旅行会社で活躍した人だったので、応援で案内のバイトができた。
就職した日本語センターは過酷でも耐えたからそのあとが頑張れた。
そのセンターは高い教育ノウハウがありどこでも授業できるようになった。
そして投資サポート会社でもあったので、ビジネスに関係できた。
交渉の場面に立ち会う仕事ができたのでコンサル事業を志した。
紹介者S先生の人脈でダナン大学のN先生に会えた。
N先生の紹介で有力な老M先生との関係ができた。
老M先生が企業が応援する国立大学の日本語クラスの講師にしてくれた。
老M先生は、日本語センターの経営者の恩師だったので兼業禁止問題をクリアした。
2018年
老M先生は不慮の事故で体が弱くなり、授業の全般運営を代行するようになった。
マネジメントの代行を通じてベトナム人先生たちの人脈ができた。
日本企業が老M先生の代役の私にコンタクトを取り始め、大学との接触も広がった。
紹介者S先生の家庭教師の教え子Hを引き継いだら、N2に合格して自信がついた。
Hが転職先で日本語能力を評価されて宣伝したので家庭教師生徒が増えていった。
日本語センターではチャンスがない上級レベルの子の授業に慣れ人脈が増えた。
Hはさらに日本語塾の経営者Cをしょうかいしてくれた。
小学1年生から社会人まで各層の授業を担当し、独立教室担当の経験をした。
しかし、遠方で、雨季など授業の負担がおおきく体力の限界を感じてきた。
Cがフェイスブックに載せたことをきっかけに、兼業を咎められ塾を辞めた。
2019年
11月日本語センターが進出をサポートした浄水器販売会社の顧問になった。
テトに打ち続くロックダウンでまったく営業できず成果なし心苦しい。
日本語センターは在越日系企業の社員教育を請け負い、教師になった。
私が勧めた。「教室」「募集」「常勤教師」「授業料売掛」不要「社命でまじめ」
老M先生主催の上級者の秘書検定授業でベトナム人教師を補佐し受験した。
次回授業の教師を志願して秘書検定授業を行ったら高い合格率で自信を得た。
2020年
帰国した際、検定協会に交渉して、東京での試験代行機関としてOKになった。
投資サポート・人材育成の仕事について東商に相談して個人事業会員になった。
N先生から紹介され、自宅が近く暇つぶしで私立DuyTan大学の安時給講師になった。
給料の遅配をDuyTan大学のスポンサー機構の理事長に抗議したら印象をもたれた。
秘書検定授業中に彼が偶然来室見学し評価され副理事長・理事長代行に就任した。
コロナウイルスでロックダウンの孤独を耐えられたのはこのおかげ。
2、2020年9月 いま
①DuyTanでは
機構の仕事は多面にわたり全権者になり、毎日理事長とやり取りして多忙。
・日本語6クラスの運営(方針・カリキュラム・ベトナム人先生マネジ・授業)
・日本語学部正式設立準備・日本の大学間協定(人材・大学本部交渉)準備
・工科大学機械工学科新規授業開設交渉
・日本企業投資サポート・日本の企業との交渉
・送り出し機関との契約
②Danagでは
緊急事態で工科大学・師範大学IT専科クラスのことで日本企業との交渉
コロナウイルスの影響で、老先生主催の大学授業のスポンサー企業が撤退。
・・・・年間数百万円規模のスポンサー探し。困難
③帰国後の仕事基盤づくりでは。
・日本で働く外国人高度人材育成の組織づくり
・日本企業のベトナム投資企業や人材需要企業の開拓
そのための作業項目(コロナウイルス休暇は絶好準備作業期間)。
「人材ストック名簿整理」「行政書士協業提案」「オンライン授業技術」「送り出し機関協業打診」「飲食大企業のスタッフ特別授業企画」「ヨットクラブ実現」「日本国内日本語学校協業」「日越で同時秘書検定試験・授業代行実施」「ミャンマー学校・送り出し機関協業」「Hが証券取引資格試験を合格させる」「日本で働く日本語会話クラブ」
3、将来の楽しそうなライフワークは
・日本語教育(外国人企業内教育・・自治体検定試験・ベトナム人寺子屋・世界オンライン塾)
・地方企業へ外国人材の定着サポート・伝統文化交流事業
・ダナンヨットクラブと 付帯ビジネス
・ダナン投資・人材需要企業を現地にあっせん
・ダナン視察旅行サポート
・外国人を美しい日本の地方に招待
4、しゅみは
・物書き エッセイ・小説家
・絵かき 上野公園で路上似顔絵描き・ベトナムで子供絵画教室
・講談師 「太平洋戦争」各論
・政治家 チャンスによる・世直し
・弁護士 知的しゅみ
5、今 必要な条件整備とスキルアップは
・大学との関係・・・・・ダナン大学・DuyTan
・人脈・・・・・・・・・教師の会・家庭教師教え子・IROHA
・人材ストック整理・・・独自にジョブフェア・企業紹介
・ダナンに居場所・・・・I社のビザ維持・Kさんとヨットクラブ
・日本語教育ブランド・・N2教育力・会話・教材・カリキュラム整理
・高度人材育成力・・・・ビジネス検定やりなが自らとる
・IT能力・・・・・・・・オンライン授業・Kさんに指導してもらう
・似顔絵・・・・・・・・Facebookで公開
渡越以来、笑顔以外の写真はのこさないことにした。
書いてみて、こんなに人さまのお世話になったかと、あらためて思った。
教育という仕事はいい。感謝されこそすれ恨まれない。花に水をやるようなものだ。