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ベトナムに来てから、朝から晩まで働きっぱなしだったけど、今宵はのんびり一人で飲んで過ごしている。
ロックダウン中のダナンだが、きのうの晩から、なんだか明るい雰囲気が感じられる。
今日聞いたら、もうすぐ外出禁止が解かれるようだ。
感染者260名強、死者0。
コロナウイルス感染、日本とおなじくらいの人口の国で、たいしたもんだ。
即決即断でコトを行えるのはうらやましい。
フック首相から全国民のSMSにメッセージがきたもんね。
「国民のみなさんは、コロナウイルスと戦う最前線の兵士だ」って。
休業損害だとか、もらう金はいくらだとか、いっさいなし。
隔離費用も自己負担。
そのかわり、国が我慢できることはする。低所得者の電気代とか公共料金の遅払い容認とか。
ストーリーがはっきりしているから失業は増えているが不満が出ない。
買いだめ行列もない。
太平洋戦争で、空襲などの被害を、賠償しろと国をうったえた裁判があった、
負けるとわかっていて戦争したのは「不作為の作為」だといえないこともないけど却下。
じゃ、コロナウイルスでの損害を国に補償しろといわんばかりの状況はこりゃなんだ。
首相は「補償しない」といったのは正解だと思う。
じゃ、あとで金をくばるのはなんだ。マスクの配達経費は馬鹿でかいぞ。
ドイツのメルケルおばさんのように、「防げない。大勢死ぬ。かくごして。」の名演説のように。ウイルス対策にメリハリつけて投入すべきだ。
「公平」なんていったいなんだ。お年玉じゃないんだよ。
興奮しちゃいけない。首相も気の毒ですね。
今夜はだらだらと、所感を書いてみよう。
まず「民主主義」
大学に入学したときは学園紛争の最中。
運動の頭目は共産主義かぶれか、とおもったら、人望のある剣道部の主将だった。
効率的に受験勉強だけやってきた東京っ子とちがって、地方からでてきた同窓生仲間の討論能力が高くておどろいた。
夏休みが終わるころ、学園紛争はピークに差し掛かり、正門をバリケード封鎖した内側の勢力と、夏休みが終わって登校してきたバリケード反対勢力とで対立し、騒然となっていた。バリケード反対勢力は(マスコミでは一般学生と呼んだ)「授業料を払っている。授業を受ける権利がある」「こっちのほうが大勢だ」と叫んだりしていた。
「そりゃりくつだ」と思った。
そこに現れた白髪の教授(学部も名前もしらない)が、バリケードの外の連中に向かって叫んだ。「なにをいうか。民主主義とはそういうものではない。君らは夏休みなにをしていたのだ。一方では真剣に大学の危機について夏休み返上で論議をしてきたものがいる。一方では、我関せずで、金を払った分の権利だけを言うものがいる。民主主義の本来は、だれでもかれでも頭数の多数決の問題ではない。主体的にかかわろうとするもの制度なんだ。ここは予備校ではない。学府なんだ。はずかしくないのか。」と。
ほ~さすが大学だ、と思った。
学園紛争は、しだいに折からのベトナム戦争反対運動の中核になり、60年安保で敗北してばらばらになった学生運動をまとめる力になった。
構内で、喫茶店で、主張が対立するグループが出会うと、その場で熱心に議論した。暴力なんてあほな挙動はなかった。個人レベルで論争した。共産党系の連中はそれが苦手でさけた。
法哲学の授業が面白かった。法律とはかび臭いものだと思っていたが、法とはなにものかという思考の深さが魅力だった。懐疑心こそたいせつだという点だ。
ある日、集会のため、授業に遅れて、教室めがけて走った。すると同じように走っている教授がいた。その授業の教授だった。おなじようにどこかで討論したあとだったのだ。はしりながら笑った。授業より優先するものがあっても当然だというふうに。
佐藤首相がベトナム戦争加担の姿勢をアピールするためにサイゴンへ飛び立つときがきた。今でいう「集団自衛権行使」である。
支持率が20%程度におちこんだ政府はつよい反対デモを予想した。
装甲車で羽田周辺を機動隊の壁をつくって威嚇した。
共産党はじめ既成野党はたじろいだ。
今、「たじろがない」ことこそが重要と主張して、全国からあつまった学生は止まらないで前進した。装甲車にひかれて死者がでた。
羽田事件だ。
その翌日、続々と包帯だらけの学生が構内に帰ってきた。
昨日のことを、広く、学内に報告し、運動に参加するようによびかけようと、それぞれ分担して、わたしも教室に向かった。
運悪く自分のフランス語のクラスに当たった。
授業中でいきなりだから、教授はおこるだろうなと思ったが「こんなことをしている場合じゃないだろう。意識をもて、行動すべきだ。」と訴えた。
クラスはし~んとなった。
そのとき教授が言った。「そうだ、彼の言うとおりだ。君たちはなにをしている。」
おどろいた。
教授にお詫びもいわずに、その後ほとんど出席しなかったのに、単位をくれた。
さすがフランス語の先生だ。ラ、マルセーエイズだ。
日本国憲法が面白くて好きだ。
よく思うのだが、右翼の人や保守勢力はどうしてこれを反対するのかわからない。
与党や、保守勢力にとって有利で、便利な憲法なのに。
戦争もできる。先制攻撃もできる。核爆弾の保有もできる。地球の裏側まで派兵できる。徴兵制も実施できる。国民が敵に協力して国に不利なしたら死刑だ。
不足はない。
憲法違反で国民は政府を訴えることが困難である。
と、いうのは、個人に具体的な損害が出ないと、門前払いにするから。
どのような法律を政権がつくろうとも、やり放題だから。
「あの法律や政令は憲法違反じゃないですか」言うと、憲法は「それではあなたはなんの損害がありましたか」おとといおいでよ、と言い放つ。
「訴訟の利益」っていうやつだ。
憲法前文は国民に自分の権利を自分で不断に守る義務を課している。
「権利の上に眠るものは権利を主張できない」と。
要するに行動する権利をあげるから「行動」しなさい。
選挙、デモ、団結権・公務員の罷免権などいろいろ権利をあたえているじゃん、と、言う。
怪我したり、損害がでたらそれから訴えなさい、といっているのだ。
じゃあ、まず、殴られにいくしかないなあ、となる。
北海道の牧場主が自衛隊の通信線を切断して、つかまって、自衛隊が違憲だという裁判までこぎつけた。
恵庭事件、司法試験問題で有名だ。
日本には、欧米のように、「憲法裁判所」制度がないからね。
「ああ、違憲だというなら、ほら、かかってこいよ」というのだ。
これは、おとなしい日本人にとって、「お代官様そんなごむたいな・・。」である。
日本国憲法は国民がおとなしいと、政権側に有利なのだ。
1970年に、日本側が当時の西ドイツ側に、
「お互い将来大国としての道を開くために核兵器が必要になるだろう。
だから一緒に、ほら、核不拡散条約に調印するのは考えもんじゃないか」、と呼び掛けた。「外務省高官箱根秘密会議」だ。
民主党政権の時に暴露されてNHKの特番になった。
そのとき、日本側はドイツ側に「核兵器を持てる段階までこれたのは憲法を有利に使えたからだ」と言っている。
それで、日本とドイツは調印をまよって、諸外国より長く遅らせた。
結局調印した理由は、破棄できる容易な条件、第10条(だったかな)に着目したからだって。
ちょうどこのころ、空母エンタープライズがベトナム戦争のためにさせほに寄港して
核兵器を持ち込んだんじゃないかと大きな寄港反対デモがあった。
いいや、持ってないはずだ。だって我が国は「核兵器を持たず、持ち込ませず」の
原則だから、」と政府は言った。
多くのけが人がでた。
ずっとあとで「うそでした」となった。
もし、国民が「憲法違反じゃないの」って言ったら、「だからなんなの」とくる
それでもいいです。一応個人の権利を中心にうたっているから。
だったら、それはそれで、今回のウイルス政策だって、かなり強気で、もっと早くやれるでしょうに。個人の私権の制限は憲法では容認されているよ。
条文では「公共の福祉」だ。私権より上だ。
公共の福祉名目で、私権を制限する問題は司法試験の定番。
砂川や成田で土地の強制収容とか、福島の原発事故で立ち退きとか。
実際、原発事故のときは、民主党政権だったけど、5時間で非常宣言だしたよ。
だから
右翼の方、いいんじゃないの、護憲側で、この憲法で。
「政治生命をかける覚悟の」政治家がいれば。